「Blind Leading Blind」  その②


 スバルの足は止まらない。サナは懸命にそんな彼を止めようとする。
「お願い、もうやめて。もういいでしょ?」
「まだだ。金城をこの手にかけるまでは帰らない」
「どうして? どうしてそんな事を思うようになってしまったの? 私が何かした? 私はあなたの為に今まで頑張ってきた。スバルを裏切るような事なんて、何もしてないわ」
「‥‥分かってる」
 スバルはサナの顔を見ずに答えた。分かっていた。サナは何も悪い事はしていない。悪いのは、そんな姉を漬け込んだあいつらと、そして自分だ。
 3階に辿り着く。銃声も、人の声も聞こえない。代わりに、1人だけ、男が立っていた。長髪の男だ。その手には、スバルと同じ銀色の刀がある。男はチラリとサナを見てから、スバルを睨みつけた。
「‥‥貴様。サナさんの弟らしいな。何をしにここに来た?」
 殺気立った声だった。スバルはサナを壁際に追いやる。
「今までの悲鳴を聞いても、まだ分からないのか?」
「そういう事ではない。我々はお前にこんな事をされる覚えは無いと言いたいのだ。彼女は組長に大事されていた。私から見れば、それは決して不幸などではなかった」
「俺にとっては不幸だった」
「分からぬ。彼女はお前の為に組長の女になった。組長は彼女にも、お前にも優しかった。それが何故、不幸なのだ?」
「あんたには一生分からないだろうな」
 そう言うと、スバルは刀を構えた。そして、言葉を続けた。
「俺はな、一生姉さんを自分の物にしていたいんだ。他の誰にも‥‥姉さんには触れさせない」
 その言葉を聞いたサナの表情が暗くなる。もう何も見えない世界。最後に見た弟の顔。きっと、今その顔をしているのだろう、と思った。
 男は一瞬だけ俯く。
「‥‥そうか。だから目を潰したのか。‥‥悲しいな。誰の思いも分からぬとは」
「世界の人間全員が、人の気持ちに応えられるわけじゃない」
「だが、こんな応え方は無いと思う。それは人の道から外れている!」
 男が刀を構え、走りこんできた。スバルも構える。が、今回の相手は他のとは格が違った。スピードは桁外れだった。
「!」
 刀同士がぶつかり合う。ガギンと鈍い音がして、スバルの刀が弾かれた。スバルは体勢を崩す。男はその隙を見逃さなかった。
「もらったぁ!」
 男は下から刀を振り上げた。一抹の血が飛んだ。スバルの頬から血が出ていた。が、それだけだった。ギリギリの所で、一歩後退していた。
「ふんっ!」
 弾かれた体勢のまま、スバルを刀を振り下ろした。決まった。そう思った。
 ガギン、と再び鈍い音。スバルの攻撃を、男は再び防いだ。その攻撃で、スバルの刀が真中から真っ二つに折れた。
「なっ!」
「次こそ!」
 男は刀に水平にして、刃を突き出した。その刃先はスバルの心臓を狙っていた。
 再び血が飛んだ。今度は尋常な量ではなかった。が、男の顔には驚きの表情があった。
「‥‥」
 刀はスバルが咄嗟に上げた太股に突き刺さっていた。スバルは苦痛に顔を歪めながらも、刀の突き刺さった太股を大地に下ろした。
「あっ!」
 刀ごと持っていかれ、男はスバルの前に頭を突き出す形になった。その頭に、半分になったスバルの刀が突き刺さった。
「‥‥終われ」
 血は出なかった。男はそのまま、何も言わず前のめりに倒れた。同時に、スバルも尻餅をついた。突き刺さった刀を何とか引き抜く。傷口からドロリとした血がドクドクと溢れた。
「くそっ‥‥ああっ!」
 スバルは男の服を半分になった刀で切り、乱暴に太股に巻いた。痛みなど、とれるはずがなかった。だが、今はこれしかできない。
「スバル? スバル!」
 サナが壁に手をつきながら近寄ってくる。スバルがサナの足に触れると、サナはスバルを強く抱きしめ、体中をまさぐった。傷口を探しているようだった。スバルは刺された太股を手で隠した。
「大丈夫? どこか怪我したの?」
「‥‥心配しなくていいよ」
 スバルはそれだけ答えると、1人で立ち上がり、再び廊下を歩き始めた。ビルは4階。残るのは、あいつしかいない。
 進もうとするスバルの体を、サナが強く抑えた。瞬間、スバルの足が止まった。今のスバルに、サナを退ける力は残っていなかった。
「やめてくれ。あともう少しなんだ」
「嫌よ。これ以上行ったら死ぬわ。あなたまで失ったら、私はこれから誰の為に生きていけばいいの?」
「自分の為に生きていけばいい」
「そんなの勝手よ。私の光を奪ったくせに、私の居場所まで無くしたくせに、何でそんな事が言えるの?」
 サナは涙ながらに叫んだ。スバルがゆっくりとサナを顔を見た。自分が潰した目から、大粒の涙が零れていた。
「‥‥ごめん。でも、こうしないと気が済まないんだ」
「またそれ? もう聞き飽きたわ。じゃ、私も気が済むまでやる。絶対にこれ以上行かせない」
 サナはスバルを強く抱きしめ、そのまま膝をついてしまった。今のスバルでは、どうしようもなかった。
 だが、それでもスバルの決意は揺らがなかった。あいつを殺さないと、姉さんは自由になれない。まだ自分の物にならない。光を奪ってもまだ納得できない。
 身勝手と言われても仕方ない。いや、当然だろう。姉の目を潰し、昔いた場所まで壊そうとしている。自分は罰を受けるべきだ。だが、それはあいつを殺してからだ。
「‥‥本当にごめん」
 スバルは力を振り絞って、サナを突き飛ばした。サナはすぐに起き上がるが、目が見えない為、手をバタつかせるだけだった。
「行かないで!」
「すぐに戻ってくる‥‥」
「私のお願いも聞いてよ!」
「あと5分したら、何でも聞くよ」
 それだけ告げ、スバルは最後の階段をゆっくりと上っていった。
 1人残されたサナは弟に潰された目からポロポロと涙を流した。
「ずるいわ‥‥」


「お前だったのか、スバル。彼女を奪ったのは」
 最上階。若干豪勢な部屋に、1人の男が椅子に座っていた。白髪で、相当の歳の男だったが、目は落ち着いていた。彼が金城だった。
「ああっ、俺だ」
「何故だ? どうしてこんな事をする? どん底の生活をしていたお前ら姉弟を養ってやった恩を仇で返すつもりか?」
 金城は落ち着いた口調で聞く。悪鬼に勝る顔のスバルとはあまりにも対象的だった。スバルは歯を剥き出しにして言う。感情を押し殺しているような感じだった。
「養ってくれたのはありがたいと思う。だが、愛してくれとは一言も言っていない」
「ひどい言われようだな。それくらいの恩恵はあっていいと思っていたんだが」
「姉さんは俺の物だ。他の誰も物でもない」
「‥‥目を潰したらしいな。実の姉の目を潰して、それで平気なのか? 君は」
「もう‥‥誰も見てほしくない」
 スバルは気丈な瞳で答えた。もう、どんな事があってもその目が揺らぐ事は無い。金城は小さくため息をついた。
「君も盲目だな」
 金城は素早く銃を構えた。その瞬間、スバルは手にしていた刀を投げつけた。刀は音も無く金城の心臓に突き刺さった。あまりにも一瞬で、あまりにも呆気なかった。
「‥‥ははっ」
 金城は銃を落とし、自分の心臓に突き刺さった刀を見て笑った。
「‥‥まあいい。私は彼女が幸せになればそれでいい。私達を殺してまで彼女を幸せにしようとしたお前だ。私よりは、彼女を幸せにできるだろう」
「してみせるさ」
 スバルが答えると、金城はそのまま生き絶えた。


 警察の車がビルを取り囲んでいた。既に日は暮れ、街のうるさいまでの光がスバルとサナを照らしていた。2人は隣のビルの屋上から、下の様子を眺めていた。
「じゃあ、姉さん、最後は俺の番だね」
 スバルは疲れた口調で呟く。
「‥‥何をするつもりなの?」
 戸惑うサナの手に、スバルはゆっくりと刀を持たせた。
「姉さんの目を潰したのは俺だ。姉さんの居場所を壊したのも俺だ。俺は罰を受けなくちゃいけない」
「‥‥それが分かっていて、どうしてやったの?」
「罰を受けたかったのさ。‥‥いや、受けてもいいから、こうしたかった」
 スバルは笑った。声だけで分かった。嘘の無い、真実の笑いだった。
「‥‥」
 サナは刀の感触をじっと探っている。木を通して伝わる弟の温もり。全てを壊しても、自分を独り占めにしたいと願った弟の温もり。
 サナは刀を持っていない方の手で、スバルの体に触れる。何かを探すかのように。
「私の目を潰して、私の居場所を壊してまで、私を自分だけの物にしたかったの?」
「ああっ」
「‥‥じゃあスバルは、私の物なの?」
「ああっ。それが俺の願いだったから」
 スバルは丁寧に答える。僅かな光の中で揺らめく姉の顔は、この上無く美しかった。この顔を一瞬でいいから自分の物にしたかったから、あんな馬鹿な事をした。永遠に誰にも愛されないように目を潰し、永遠に座れないように居場所を無くした。それが姉が悲しむ事など、分かっていた。でも、欲望がその感情を殺した。
 サナはスバルの首に触れ、そして顔に触れる。冷たい手。今、スバルは幸福だった。例え次の瞬間、憎しみの刃で刺されようとも。
 サナはゆっくりとスバルの顔に自分の顔を近づけ、囁いた。
「あなたは身勝手だった。身勝手に、私を奪った。なら、最後くらい、私に自由にさせてよ」
「‥‥好きにしていいよ」
 スバルはじっと、サナの顔を見下ろしている。殺されるなら、それでいい。いや、それが願いだった。光を奪い、居場所さえも奪った自分。そうしてまで、自分の傍に置いておきたかった姉。その姉が望んでいるなら、断らない理由は無かった。
「‥‥」
 サナの手がスバルの顔に何度も触れる。そして次の瞬間、サナの持っていた刀が空を走った。
 スバルの目の前が真っ赤になった。そして、視界の中に1本の横線が走っていた。
「あ‥‥ああっ」
 スバルはその場に跪いた。押さえる指と指の隙間から血が滴り落ちた。
 サナがそんなスバルをゆっくりと抱きしめた。彼女は微かに笑っていた。
「先にあなただけ逝くなんて、許さないわ。言ったはずよ。一緒だって‥‥」
「‥‥姉さん」
 スバルは消えていく視界の中で、微笑むサナを見た。それが、スバルの見たこの世で最後の光景だった。サナが最後に見たのがスバルの顔だったように。


 空は晴天。下には人で溢れる都会がある。そんな都会の街中を、ある2人の男女が歩いている。2人共、光を失っていた。その為、寄り添うようにして歩いていた。
 道の向こうから外国人の親子が歩いてくる。母親の手に引かれた金髪の少女が、2人を見て目を丸くした。
「Hey Mam.Blind Leading Blind.They Don´t See Us.(ねえ、ママ。盲人さんが盲人さんの手を引いてるよ。あの人達、私達の事見えないんだね)」
 それを聞き、母親は慌てて少女の口をふさぎ、2人の横を足早に通り過ぎていく。2人はそんな言葉には耳も傾けず、ただゆっくりと歩いていた。
 2人は光を失った。だが、とうの昔に盲目になっていた。だから、光を失っても、それを不幸だと思ってはいなかった。
「姉さん、これからどこ行く?」
「山でも登りましょうか。今なら花もいい香りになってるはずよ」
「そうだね。ついでに紅葉も見に行こう」
「そうね‥‥。ちっょと難しいかもしれないけれど、時間なんてたくさんあるものね」
 2人はそんな他愛も無い事を話しながら、街を歩いていった。
                                                                   終わり


あとがき
ある所に提出した作品だったのですが、冒頭に言った通り「Blind」という言葉が差別用語だと言われてボツになった作品でした。勿論、私にはそういった意図は無く、単純に好きなメタルバンドに同名曲があったからなんです。とは言っても、その歌の歌詞とこの作品には何の関係もありません。
私の中ではかなりグロい作品ですが、結構すっきりまとまった感じがして好きですね。


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